あなたは今どんな願いを持っていますか?
クリキンディは、
「宝くじ当たれ〜!」とか、
「放射能消えてなくなれ〜!」とか
「ハワイに行きて〜!」とか
思ってます。
でもって、これらの願いを叶えるのはとっても難しいことだと思ってます。
あ、もうひとつ、こんな夢も持ってます。
「鳥みたいに大空を自由に飛びたい〜!」
どうやったら自由に飛べるのか、
鳥さんにインタビューしてみたら、こんな答えが返ってきたりして。
「え?どうやって飛ぶか?そんなこと考えた事ないし…。
それよりさ、ぼくは人間がやってるみたいなキャッチボールをしてみたいよ。」
せっかくなのでイルカさんにもインタビューしてみましょう。
「え?どうやって大海を泳いだり、水面に大きくジャンプしたりできるか?
そんなの考えたことないもん。
それより私はあなたたちみたいに、二本足で歩いてみたいわ。」
確かに、キャッチボールしたり、二本足で歩くのに、
脳のどの部分を使って、手や足のどの筋肉を動かして、
自分の中心から◯◯mmのところに動かして、
とか、考えてませんよね?
つまり、
ボールをつかむ、投げる、という行動(”願い”と置き換えて考えます)を
実行するのに、迷いはないし、頭で考えているわけではありません。
ボールをつかみたい、投げたい、という願いは、即時に自分で叶えています。
そう考えると、私たちは今までにも山ほどの願いを、
毎日即座に叶えながら生きていることになりますよね。
「寝たい、歩きたい、見たい、食べたい、伝えたい、etc……」
その中でも、もっとも大きな願いが
「生きたい」かもしれません。
クリキンディは、どうやって自分が心臓を動かしているのか、
どうやってこの世に生まれてきたのか、ぜんぜんわかりません。
だけど、生まれてからずっと
「生きたい」という願いを叶え続けています。
そんなの「願い」じゃないし〜!と思った?
宝くじとか、願ってもなかなか叶わないものを「願い」とか「夢」とか言うんじゃないの?
と思っているのなら、
あなたの「願い」「夢」は、「なかなか叶わない」ものになるでしょうし、
「血のにじむような努力をしてはじめて叶うものを願いや夢を思っている」のなら、
あなたの願いは「血のにじむような努力をしてやっと叶うもの」になると思いませんか?
自分が思ったように自分の世界は作られるらしいですから。
クリキンディは、
「宝くじが当たる」方法を知っています。
売り出されたすべての宝くじを買い占めれば必ず当たります!
だけど買い占めるだけのお金がありません。
っていうか、それだけあれば宝くじは必要ありません。
つまり、私の願いは、「宝くじに当たること」じゃなくて、
今お金があれば手に入れられるものを、購入するための大金が欲しい、
ということなのだから。
「放射能が消えてなくなる」方法は、うーん、今は知りません。
100万年経てばなくなるらしいです。
そっか、時間がかかるけど、これもオッケーじゃん!
いやいや、私の願いは「放射能の心配をせずに安心して暮らしたい!」です。
「ハワイに行く」方法も知っています。
船とか飛行機に乗ればいいんです。泳いで行く手もありますが…
いや、これも、ただ到着できればいいわけじゃなく、
ゆったりと自然に囲まれた島の雰囲気を味わいたい、ってことですから〜。
こうして考えると、私は、「願い方」を間違っていたのかもしれません。
「願い」という概念そのものを見直す必要がありそうです。
さて、ではクリキンディ、今から自分の願いを叶えてこようと思います。
まず椅子から立ち上がり、
スリッパを履いて、
歩いてドアを開け、
電気をつけて、トイレのふたを開けて…………