昨日の「オルトロスの犬が伝えたかったこと〜その1」のつづきです。
以前聞いたラジオの番組で、どなたかが、
「ドラマは振れ幅が大きいほど感動する」というお話をされていたことがあります。
たとえば、シンデレラの場合、
継母と義姉たちにいじめられるという、不幸のどん底から、
王子と結婚するというハッピーエンドまで、
とても大きな振れ幅の人生を描いたものですよね。
ハリー・ポッターも然り、
読者にとって「魔法が使えるなんてすごい!」とうらやましくなる状況なのに、
両親亡き後、育ててくれた伯母夫婦が「魔法嫌い」のため、とことんいじめられます。
どうやら、人間というのは、振れ幅の大きな、
ちょっと妨害イベントのある人生ストーリーに面白みを感じる性質があるんですね。
前回の記事で、
「なかなか最後まで見る事のできなかったドラマ」が、
クリキンディにとって印象深いドラマになった話をしました。
しかし、そこまで妨害して、クリキンディにこのドラマを印象付けたかった、
その目的は一体なんでしょうね?守護霊さん?
そこで、あらためて、このドラマのポイントを整理してみます。
まず、主人公はふたり。
触れたものの病を治すことのできる「神の手」を持った男と、
触れたものを即死させる力のある「悪魔の手」を持った男。
もし、「あなたにどちらか好きな力を授ける」と言われたら、どちらを選びますか?
普通なら「神の手を下さい」と言っちゃいそうですよね。
しかし、ドラマのストーリーでは、
「神の手」を持った男の存在が、
「自分の病気を治して欲しい」という欲望を生み、様々な犯罪を生むことになり、
「悪魔の手」を持つ男の存在が、
世の中の「悪を絶つ」ことに使われることで、平和な世界を作れるようにも見えてきます。
これらの特殊能力は、誰も持っていないがゆえに、
様々な人から利用される運命を背負っています。
また、その力を独占したいと思う権力者の心を蝕んでいきます。
ドラマとはちょっと違いますが、
スピ系と呼ばれる人たちの中には、いろんな特殊能力を持った人がいます。
オーラを見る事のできる人、
宇宙人と話ができる人、
過去世を見ることのできる人、
未来を予言する人、
身体に触れる事なく癒してくれる人、
これらの能力を持つ人に出会うと、
つい自分の人生の決定権を譲り渡してしまいそうになりませんか?
「あの占い師が、結婚は来年にしなさいって言うから…」とかね。
そして、その能力者自身も、
他人の人生をコントロールできることに気付いた瞬間から、
教祖への階段を登り始めます。
「神の手」と「悪魔の手」を授かった男たちは、
教祖になろうと思えばできたのに、あえてそれをしませんでした。
それは、世の中が求めているものが、
自分自身ではなく、その「能力」だけだと見抜いていたからだと思うのです。
ドラマ後半で、
病気の子供たちが、「僕はいいから、◯◯ちゃんの病気を治してあげて」
と「神の手」の力を譲り合うシーンがあります。
おそらく、このドラマのもっとも大事なテーマだと思います。
誰もが欲しいと思う「力」を、
大人は奪い合って不幸になり、
子供は与え合って幸せになる。
この「力」を「お金」に置き換えて考えたら、もっとわかりやすいかもしれません。
もし、自分が脚本家で、人生ドラマを構築するとしたら、
振れ幅が大きな、一見不幸に思える出来事を引き寄せて印象付け、
「手に入れたい」と思える「力」を、
「奪う生き方」から「与える生き方」にシフトするように仕向けて、
盛大なエンディングを迎えるストーリーを作るかもしれません。
人生をどう生きるかの青写真は、生まれる前に、自分自身で決めてくる、
と言われています。
「え〜、私がこんなつまんない人生を設計するわけないじゃん〜!」
と思っている人は多いかもしれませんが、
感動のエンディングを迎えるための作戦かもしれないと思うと、
ちょっと不幸に見える出来事でも、味わい深く思えてくるから不思議です。
いろいろ考えさせられるポイントの多いドラマでした。
ぜひ皆さんもDVDを借りてみてくださいね。
おまけ……
ドラマの最終回は75分のロングバージョンでしたが、
再放送の最終回は60分に縮小されていたようです。
どうやら、ちゃんとノーカット版を見なさい、
ということだったのかもしれませんね〜ww