移住しました その16 「対岸から見えるもの」


移住についての記事が中途半端なまま、
新しい生活が少しずつ進んでいる間に、いろんな記憶が薄れつつあります。
移住してからほぼ3ヶ月経って、体調は大きく変化していますが、
人間、調子がよくなるとあまり自分の体調を記録しなくなるもので…

はっきり言えば、「放射能ってどんなんだっけ?」と言えるほどに回復しています。
同時に、九州に住んでいる人にとって、
福島の出来事は「対岸の火事」であることもわかってきました。

先月、3日ほど宮城に滞在したのですが、
その時に久しぶりに会った友人、知人の誰もが、
クリキンディの移住の理由を知っているにも関わらず、誰も放射能のことを話題にしませんでした。
「九州はどうなの?」
そう聞かれるだろうと思っていたので、拍子抜けした、というより、
この話題が完全に「気持ちの上でタブー」になっているのだと痛感しました。
ものすごく複雑な気持ちです。
諦め切っているような、でも期待しているような…。
確かなことがわからない。
でも怖いからとにかく考えたくない。
そんな感じでした。

対岸に渡った今、私ができることはなんだろう。
東北にいる友人たちに、私ができることはもう何もないのかもしれない。
なんだかもう、よくわからなくなってしまいました。

でも、もしかしたら、まだ移住について迷っている人がいるかもしれない、
それだけを支えにこのシリーズをもう少しだけ続けようと思います。
たったひとりでもいい、誰かの役に立ちますように。

[追記]
今日本のTOPに立っている人について、批判している人々がメディアから排除されようとしている、
という記事を見かけました。
どこにどんなお金を使っているのか、どんな脅しをしているのか、
そもそも本当にやっていることなのか、それはわかりませんが、
「彼を批判すると自分の立場が危うくなる」というイメージを広めることに成功すれば十分でしょう。
そして、これが独裁国家のはじまりとも言えるかもしれません。

私たちは独裁国家についての番組などを見て、
例えば、北朝鮮についての報道を見ると、
なんてひどい、本当にそんな国に生まれなくてよかった…と思うし、
その国で抑圧されている人たちに
「早く逃げればいいのに…」とも思っています。

これこそ「対岸」にいるから言えることであって、
渦中にある人は、自分が逃げられると思っていません。
この状況が、とてもフクシマと似ていることに気付いてしまいました。

そこから逃げ出すのは、
現在の環境に留まるよりもリスクが大きいと思わされているんです。
脱北者が殺されたニュースはあっても、
脱北者がその後幸せになったニュースをあまり見かけないのも、
もしかしたらメディアコントロールなのかもしれませんね。

脱北者か…
脱東北者、なんですね、私。

(その17につづく)

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ブログ版をかなり加筆、修正しています。


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