エレベーターに乗って9次元世界へ

今日も夢の話で恐縮ですが…
でも、どうしても、これはただの夢じゃないと思うので記録しておきます。

クリキンディが一緒に仕事をしている友人Mちゃんは、
マンションの8Fに住んでいます。
スピ友数名が同じ部屋に一緒に住んでいるのですが、
階下の7Fをお店にして働くことにしました。

8Fの部屋にはグランドピアノと電子ピアノが置いてあって、
そこで背の高い友人が、クリキンディと一緒に演奏してくれました。
え?ピアノ弾けたんだ!知らなかった〜!

8Fの窓から外を見ると、
地震の影響なのか、多くのアパートやマンションが取り壊されて
更地になっています。
残っている東側のマンションの屋上に、
ものすごく巨大な南国系の植物が生えていて、
屋上を這うように横に伸びているのですが、完全にはみ出しています。

7Fにいた友人にそのことを伝えたくて、下りるのですが、
残念なことに、7Fの窓からはよく見えません。

これは「珍百景」に応募しなくちゃ!と思い、w
写真を撮るために、もう一度8Fに上がろうとエレベーターに乗りました。
このブログに何度か登場しているりゅ〜いちゃんが一緒です。
(りゅ〜いちゃんの記事はカテゴリ「パワーアニマル」にあります。)

エレベーターにはおばあちゃんの先客が3人ほどいて、
1Fに下りようとしていたのに、
間違って7Fまであがってきちゃったようで、ちょっと不機嫌です。
私たちが上の階のボタンを押すのをさりげなく邪魔します。

そこを無理矢理8Fのボタンを押したのですが、
うっかり手が滑って9Fも押しちゃいました。
おばあちゃんたち、さらに不機嫌……

クリキンディとりゅ〜いちゃんの目的は
隣のマンションの屋上の植物撮影ですので、
別に8Fじゃなくてもいいと気付き、
9Fまで行ってみました。

そのマンションの9Fは屋上になっていました。
たくさんの植物を植えてあって、公園のようになっています。
カラフルなとかげや、リスなどの野生の動物があちこちにいます。
そして何より、人がたくさんいるのです、この屋上。
みんなほがらかに楽しそうに思い思いの時間を過ごしていて、
フリスビーをする人がいたり、動物たちと戯れたりしています。
車のタイヤをフリスビーにしている人も!ぶつかったら痛いっちゅうねん!

ここで目が覚めました。
ベッドでぼーっとしながら、以前見た夢のことを思い出しました。
「10次元への恋煩い」という記事に、
マンションの階層って次元にあてはめられるのかも、ということを書いたのですが、
あの時、クリキンディは、3Fより上の階に行けなかったのです。

今回はあっさり屋上行っちゃったじゃ〜ん!
9次元世界のイメージってこんななのかも?
すごく残念なことに、クリキンディの彼氏は10F(10次元)にいるため、今回も会えませんでしたが……

屋上でフリスビーをしている人たち、飛び回っているタイヤ、
それらのイメージって、もしかしたらUFOじゃん?

人は、夢の中で、現実世界の出来事を整理すると聞きますが、
違う次元や、パラレルワールドにスイッチしているとも言われます。

こうして細かいシチュエーションを記録しておくと、
以前見た夢との関連が見つけられたりしていいですよ〜!
皆さんもぜひ夢日記つけてみてくださいね。

種無しひまわり?

え〜、ちょっと前に、うちの庭のひまわりについての記事を書いたのですが、
なぜか、どんどん元気がなくなり、今はほとんど枯れかけています。

先端が枝分かれしていて、
葉っぱの付け根につぼみがついていた株も、
つぼみのまま枯れてしまいましたし、
ものすごく大きな花をつけた株は、たくさん種がついているのですが、
その種を割ってみると、身が入っていないスカスカの種ばかりです。

農水省が「ひまわりは放射性物質の除去にほぼ効果なし」と発表したようですが、
これについて、武田先生は、
「セシウムは現在土の浅い場所にあり、深く根を張るヒマワリがすぐにセシウムを吸い上げるわけではない」
というようなことを仰っているようですね。

皆さんのまわりにあるヒマワリは今どんな状態でしょうか?
今までヒマワリをこんなに真剣に観察したことがないので、
毎年こんなものなのか、今年が異常なのかさっぱりわかりません。

ちなみに朝顔は、普通に種をつけています。
皆さんの観察した植物の話、聞かせてくださいね。

受け止めてくれた天使

以前にもこの話、どこかで書いたような気がするんですが、
どうも思い出せないので、とりあえず書いちゃいます。

それは、アパートの3Fに住んでいた時のこと、
夜11時をまわっているというのに、
外から子供たちの声がするんです。

なんだろう?と思って表に出てみたら、
アパートの隣にある焼き鳥屋さんで、大人たちが宴会をしていて、
それに飽きてしまった子供たちが、
駐車場で遊び回っていたのでした。

こんな時間まで子供を連れ回すなんて…と
状況を把握して部屋に戻ろうとした時、
クリキンディは大きくバランスを崩して階段を踏み外しました。

階段を降りるつもりなどもちろんなく、
部屋に戻る廊下に向かっているはずだったのに、
なぜかひとつ下の段に向かって踏み出してしまったようでした。

まじで死ぬと思いました。
走馬灯のように風景が…ということはありませんでしたが、
スローモーションで落ちる自分を感じていました。

手すりにも手が届かず、何もつかまるものはありません。
つま先より膝が前にありました。
階段で膝をしたたか打って、そのまま頭から落ちると思ったその時、
上から3段目で、身体が止まりました。

手は空をつかみ、
膝が下を向いた正座のような格好で、すごいバランスで止まっています。

そのとき、確実に「誰かが支えて止めてくれた」と感じていました。
もちろん、そこには誰もおらず、その光景に気付いた人もいません。
誰か見えない存在が、守ってくれた、と強く感じました。

しばらく膝の青あざは残りましたし、階段を降りるのが怖いと思うトラウマが
3年くらい残っていましたが、奇跡的にそれで済みました。

そのことをすっかり忘れていたのですが、
今日「天使の世界へようこそ」(著:越智啓子)を読んでいたら、
似たような事例が紹介されていて思い出したのでした。

あの時はわからなかったけれど、
助けてくれたのは、天使だったんだなぁと思います。

越智さんによれば、人には、必ず守護天使がついているのだそうです。
見えないし、わかんないし、と半信半疑に思っていましたが、
いや、いますって!絶対!
今さらですが、ずっと見守って助けてくれていたんだなぁと感謝です。
辛かったときに悪態ついたりしてほんとゴメンナサイ!
存在を疑っちゃったりしてゴメンナサイ!
これからもよろしくお願いします!

ものごとには段階がある

クリキンディは一応ミュージシャンだったりするわけですが、
お客様の前でステージ立つ、という時の気持ちには、
大きく3段階あるなぁと思っています。

最初は、誰かに見られていることが恥ずかしくて自分をうまく表現できない。
2段階目、誰に見られていてもいいや!とにかく今の自分を見てもらおう!
3段階目、見られていることを意識して、状況にあった表現方法を臨機応変に選ぶ。

この段階を順番に踏まずに、いきなり3段目に上がることはできません。
「え?簡単にできちゃうけど…?」
という人が、もしもいたら、
その人は、前世で十分に経験を積んでいますから〜!

ちょっと話は変わりますが、
「生き霊」という考え方がありますよね。
何か深い恨みのようなものがあったりすると、
勝手に「念」を飛ばして、知らないうちに相手を攻撃するとか。
攻撃された側は、なんだかよくわからないけど、具合が悪くなったり、
妙に事故に遭いやすかったりするようです。

他にも浮遊霊とか地縛霊とか水子の霊とか動物霊とか、
そういう「見えないナニカ」が、人の体調に影響を与えているという話も、
時々聞きます。
……ああ、こうしてブログに書いているだけでなんか空気が重たくなってきたし……

これ、体調だけではなく、「気持ち」にも影響を与えます。
なんだかよくわからないけど、普段は興味のないものに、なぜかすごく惹かれるとか、
妙に友人の悲しみに同調して涙が止まらないとか、
やたらハイになったり、どーんと気分が落ちたりすることもあるようです。

やっかいなことに、
「今自分が感じている気持ち」が本当の自分の気持ちなのか、
見えないナニカのせいで、それを強く感じているのか、
区別がつかないんですね。

自分でも気がつかないうちに、そんなものの影響を受けて生きるなんて、
なんだかとても無駄な時間をとられているようでイヤですよね。
なんとか、見えないものの影響を受けずに、
間違いなく自分の人生を進めないものかなぁ…

なんてことをつらつらと考えていたときに、
ふと、「これって完全なる分離」を求めているってことなんだ、と気付きました。
他人(もしくは霊)と自分は、まったく別の存在である、
だから、「思い」に影響を受け合わないし、物事の決定にも影響を受けない、
そういう生き方が「分離」ってことなんですよね、きっと。

「前世」という概念はこのブログでも何度も話題にしていますが、
本当にその前世が自分のものであったかどうかわかりません。
もしかしたら、ソウルグループの誰かが経験したこと、
その時に感じたことを、生まれる前に情報として受け取っているだけかもしれないわけです。

そうなると、「自分だけ」の経験、その時に感じた想いを、
誰にもシェアしない生き方ってどうなんだろう?
もしかしたら、「ワンネス」の考え方でいけば、
誰かの感情を、まるで自分のことのように受け取ることは、
別に気味の悪い事でも迷惑なことでもないのかもしれない…

しかし待てよ〜!
最初の話に戻りますが、
これにもやはり段階があるはずです。

ステージに上った自分(3次元の肉体を持った自分)が、
まわりからの影響を受けたくなくて、分離したくなる段階、
まわりの影響が気にならなくなって、自分のやりたいようにステージで演奏する段階、
まわりのことがよく見えていて、自分の立ち位置も把握してうまく立ち回っている段階、

なんて感じなのでしょうか?
時々、すっかり乗っ取られて、本人がどこにいるのかわからない感じがする人に出会いますが、
もしかしたら、それは最初の段階で起こることなのかもしれません。

となると、人間としてやるべきことは、
とにかく場数を踏む!
それしかないのかもしれないなぁ、なんて思いました。
机上の論理ではなく、誰かに聞いた話でもなく、
「経験」こそが財産であり、自分が死ぬときに持って行ける唯一のもの。

そろそろ「大金持ち」とか「モテてモテて困る」っていう経験もしておきたいんだけどなぁ……(笑)

隣にいる人が同じ世界に生きているとは限らない

あ〜あ、また言葉尻をとられて大臣がひとりやめちゃいましたね。
確かに「政治家」として言うべき言葉ではなかったでしょうけれど、
ひとりの人間としての素直な感想だったんだと思います。
「あやしいお米セシウムさん」の時もそうでしたが、
一般市民レベルでは、飲んだ席などで、ジョークの話題に上がりそうなネタです。

同じ言葉でも、そのスタンスによって、
話していいこととよくないことに変わるのって、なんかおかしいですね。

ところで、今自分が生きているこの世界、
みんな同じように感覚を共有していると思ったら大間違いです。

たとえば、
クリキンディは現在年老いた両親と一緒に暮らしているのですが、
見えているもの、聞こえているもの、感じているにおい、暑い寒い、など
まるで違うんだなと痛感しています。

どこかの抽き出しで、アラームが鳴っていても、両親には聞こえません。
生ゴミなどの臭いの感じ方も違います。
コップやテーブルなどの汚れも見えていません。
この汚さ、臭さは「あり得ない〜!」とクリキンディが感じていても、
両親にとっては、「何が?」という感じです。

もし、喫煙者と非喫煙者が一緒に食事をしたら、
きっと料理は違う味に感じているはずです。

オーラが見える人と見えない人が一緒にいたら、
やっぱり感じる世界はまったく違うでしょうね。

私たちの不幸は、
すぐ隣にいる人と、同じものを見て感じて、同じ世界に生きているはずだ、
という思い込みから始まっているのかもしれません。

「あり得ない〜!」
という言葉はかなり頻繁に使われますが、
その人の価値観や感覚の中で「あり得ない」だけであって、
「あり得ない」行動をしている人にとっては、
「この行動をあり得ないって言うなんて、あり得ない〜!」
なことかもしれません。

あ〜なんか紛らわしいけど、伝わってますかね?
「死の町って表現するなんてあり得ない〜」
と思っているあなたは、
もしかしたら、隣にいる人に、
「やっと危険を認めた発言なのに、やめるなんてあり得ない〜」
と思われているかもしれません。

それぞれの感覚の違いをみんなが受け入れる世界ってどんなかなぁ〜
天国みたいな感じかなぁ…
意外に退屈だったりしてね。w

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。