愛の表現


2009年9月9日、です。
なんかこういうぞろ目ってうれしいですよね。
スピ的なイベントがあるよ〜なんてお知らせしているブログも見かけます。
クリキンディ的には、ひとつの扉が開いたと言えなくもない日でした。
皆さん、何か面白い出来事、ありましたか?

今日は、うちの両親の「愛の表現」についてのお話です。

クリキンディの父親は、
「相手を求めることこそ、愛の正しい表現である」と思っています。

母親は、
「相手を自由に放つことこそ、愛の正しいあり方である」と思っています。

だからね〜、
なんだかすれ違ってる感じがするんですよ、この二人。

例えば、母親が趣味の催しに出かけようとすると、
父は、
「ひとりで行くんだ?さみしいなぁ」
というような表現をします。
言葉にする時もあれば、言葉にせず、急に具合が悪くなったりして、出かけるのを阻止することもあります。

それが、父親の愛の表現なのですが、
母親としては、自分の行動を阻まれた気分になるので、
だんだん、自分の欲求を表現しなくなっていきました。

逆に、父親がどこかに出かけようとすると、
母親は、気持ちよく送り出してあげます。
彼の自由を尊重したいと思っての行動なのですが、
父は「なんだよ、さみしいと思ってもくれないのか」と感じます。
母親から「あなたがいないとさみしいの」という表現を引き出そうとして、
何度も浮気を重ねることになってしまいました。

なんだか悲しいですね。
お互いを想うゆえに、お互いが辛い思いをしてしまう。

でも、こういうところに学びのチャンスがあるんだなぁと思います。
「人がすれ違ってしまうわかりやすい例」として、
つらい「役」を演じてくれて、
クリキンディに学ばせてくれているのかもしれません。

ということは…
このことにクリキンディが気付いたからには、
二人の役どころも変化していくのかも〜〜?!
ああ、なんかちょっと今後の展開が楽しみになってきちゃいました!

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