中の人になりたかった&自分に向き合うのが怖い


せっかく気づいたこと、すぐに忘れちゃうので、自分用のメモ。
文章として成り立ってなかったらごめんなさい〜

最近、朝起きてすぐに地球に話しかける。
夢を思い出そうとがんばってみて、思い出せた時はメモ。思い出せなかったら諦めて、
次に自分の細胞に話しかける。

そういうことをしていると、なんの脈絡もなく「はっ!」となにかに気づくことがあって。


地球を外から眺めてる人

人生って、RPGのようなものだなぁとつくづく思う。
はじめは誰かがプレイしているのを隣で眺めていたんだと思う。
ストーリーの分岐で、自分と違う選択をするのを見ていたら、自分もやってみたくなった。

プレーヤー視点。これがスピリットの視点。
これをさんざんやったあとに、今度はキャラクターになってみたいと思った。

キャラ設定もいろいろ変えて何度も何度も。
これがエゴ視点。
そして、その方法が輪廻。

輪廻しすぎて、自分にスピリットの視点が存在していたことを忘れる。

自分がキャラクターの分際であるのに、さらにもっと「中の人」を体験してみたくなる。

例えば、舞台を見る観客ではなく、舞台に乗る人。
祭りを沿道で観る人ではなく、パレードに出る人。
コロッセオで野次を飛ばす観客ではなく、グラディエーターに。
コンサートを見に行く人ではなく、演奏する人に。
テレビを見る視聴者ではなく、出演する人に。

でも、これなら、エゴ視点だけでなく、スピリット的な視点を忘れたわけじゃない。


911の真実に向き合うのが怖い

9月になるとたまに話題になる911。
これがイスラムの人たちによるテロではなく、誰かが何かの目的のために仕組んだこと、という状況証拠は山ほどあって、
冷静に見てみると、動画も報道も違和感しかないことに気づく。
ビルが跡形もなく崩れてるのに、なぜ犯人のパスポートが無傷で出てくるんだよ!とかね。

まだテロだと信じている人が身近にいたので、わかりやすく違和感をまとめてある動画のリンクを送ってあげたら、
「見続けるのが怖い」って反応が返ってきた。

正直、なにが怖いのか私にはまったくわからない…。
こういうの、すごく混乱する。

不快、というのなら理解できる。
自分がまんまとメディアにだまされていた、ということに気づくのはものすごく不快。
これは、気持ちよく洗脳されていた人が、洗脳を解かれた時に感じる不快さだと思う。

でも、怖いとは違う。

小さな脳みそと少なすぎる経験の中から、知恵を振り絞って想像すると、
もしかしたら、本当のことを知ることが怖いということなのかなと思う。
マトリックスの世界観がわかりやすいかな。
本当の世界はちっともきれいじゃないし殺伐としてることに気づくみたいな。

鏡を見る、ということとも似てるかも。
写真にフィルターをかけて、目を大きくしたり色を白くしたり、しわを消したりして、創り上げた映像を自分だと思い込んでいたら、曇りのない鏡を見て現実を知るのはイヤだよね。

本当の自分に向き合うのが怖い、という反応だったのかもしれない。

結論はナシ。
まだ自分的に納得してないし。


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