2019年の夏休みも終わり、秋風も吹き始めるこの時期、
子供たちの自殺が一番多い時期でもあると聞きます。
死ぬほど辛いのなら、無理に学校に行かなくても…と大人たちは思ってしまいますが、もはやそんな選択肢すらなくなるほど追い詰められているのかもしれません。
今日はなかなか記事を書くのに気が重いんですが、
ひとりでもこれで気が晴れる人がいると信じて続けてみます。
■私はイジメっ子だった
私が保育園に通っていた5歳頃の話。
ひどい偏食で、給食が一番嫌いだった私は、
ほぼ毎日、みんなが園庭で遊んでいる時間に、暗い教室に残されて、給食のお皿をつついて鬱々としていました。
おいしくない。
食べたくない。
怒られる。
自由に遊べない。
同じクラスに、もうひとり、
私と同じ理由で教室に残されている男の子がいました。
この後のお昼寝タイムのために、椅子や机が片付けられた教室の片隅で、
机をふたつ並べて、私とその男の子は鬱々と時間が過ぎるのを待っていました。
そこで私が行ったこと。
それは隣の男の子の小さな太ももをつねること。
はい、イジメです。
彼にはもちろんなんの罪もありません。
ストレスのたまっていた5歳児が、ただそばにいた弱いものに八つ当たりしただけです。
男の子は小さな声でやめて〜と言うことはあっても、
反撃することはありませんでした。
ある日、男の子のお迎えにきたおばあちゃんから、
「うちの子をいじめないでね」と言われました。
その意味は5歳児なりにちゃんと理解していましたが、
それでイジメをやめたわけでもありませんでした。
■イジメの原因は被害者にあるわけではない
イジメのすべてを検証したわけではありませんので、
ちょっと大雑把な考察になってしまいますが、
イジメられる側は、自分に原因があると考えて自分を責める傾向にあるように思います。
でも、やっぱり原因はイジメる側にあるんですよね。
熱帯魚の水槽に、ちょうどいい数の魚を入れて、ちゃんと環境を整えてあげれば、あまり問題は起こりにくいですが、
そこに一定数以上の魚を入れてストレスを感じる環境になると、
水槽の中でイジメが起きると聞いたことがあります。
学校の教室って水槽みたいじゃないですか?
人が心地いいと感じるパーソナルスペースや、
ひとりひとりがストレスを感じないような工夫がされているとはとても思えません。
そんな環境内では、強くストレスを感じたものが、自分より弱いものに対して八つ当たりを始めることになります。
一番弱いものがいなくなれば、またその環境内にいる弱いものに順繰りにターゲットが変わるだけです。
私たち人間は、ずっと水槽内(教室内)にいるわけではありませんので、水槽の外で起きている様々な事象も含めて、
「強いストレスを感じているもの」
VS
「八つ当たりのターゲットになるもの」
の構図が変化します。
これは学校内だけではなく、家庭でも職場でも、どこででも起きていることだと言えます。
■みんなが本当に幸せになること
ターゲットにされてしまった人は、まずその環境から出ることが、一番早い対策だとわかりますよね。
ただ、イジメの根本原因がなくなったわけではありません。
新たなターゲットがイジメられ続けていくだけです。
強いストレスの原因をちゃんと探って、ひとつずつそれを解決していく必要があります。
なんだか解決までに膨大な時間がかかりそうな感じもしますが…
でも、実はそうでもないのかもしれません。
「本当の幸せ」ってなんだと思いますか?
お金がたくさんあること?
いい学校へ行って安定した職業に就くこと?
家庭を持って子供を育てること?
競争社会で勝ち抜くこと?
これらを手に入れた人たちが本当に幸せだとは思えないような話もたくさん転がっています。
私たち、どうすれば本当に幸せになれるのか、実は教わっていないし、よく知らないんですよね。
今自分がなにか努力していることの方向が、本当に自分の幸せなんだろうか、とちょっと考えてみませんか。
みんなが幸せになればイジメが起きるとは思いませんよね。
「謝りなさい」
「すみませんでした」
「謝ってるんだから許してあげなさい」
「わかりました」
「ハイ握手して、仲直り」
こんな意味のない解決にならないことはやめて、
どうすればみんな幸せになれるのか話し合ってみる方が、解決に一歩でも近づけるような気がします。
今大人になった私にとってのイジメっ子は
みんなが知っているあの人です。
(名前を言ってはいけないヴォルデモートみたいになってますね…笑)
あの人も、私も幸せになれる方向性は、きっとあるはずだと思っているんですが、なかなか難しいクエストですわ。