渋々生きている


うーむ。
相当辛いです。
身体も辛いですが、気持ちがどうにも沈んだまま浮かび上がれません。

震災直後から、原発のこと、放射能のことをいろいろ書いてきましたが、
まずそのことが自分の中で消化しきれていません。

人生いろいろ、
常識で考えたら不幸と思えること(例えば予定していた電車に乗り遅れるとか…)も、
出来事自体は中立であって、良いも悪いもなく、
それを解釈するのは自分次第、
そう思ってきました。

ですが、どうしても原発事故のこととなると、中立と思えない。
放射能がだだ漏れしていて、体調が優れないこの状況について、
「必然の出来事」だとはどうしても思えない。

それなら、この町を脱出して、体調が良くなってから考えよう、
そう決めたものの、具体的にどうしていいかわからない。

親類がたくさんいる九州への引越を家族に提案したところ、
「親戚付き合いがめんどくさいから帰りたくない」
と母親に拒否され。
(ちなみに母親は新聞とテレビの情報を鵜呑みにするタイプのため、放射能の危険性について、いくら話しても理解してもらえません。
しまいにはケンカになってしまうので、もうその話題があがることはほとんどありません。)

それなら、いっそ海外への疎開を、と思っているものの、
どうやったら海外で暮らせるのか、なかなかアイディアも勇気もわいてきません。

じわじわと体調は悪化してきており、
もう岩盤浴へ行っても、マッサージを受けても、
身体が楽にならなくなってきています。
かといって、重症ではないため、仕事を休まなければならないというほどでもなく。

外でたき火がしたいなぁ。
思い切り深呼吸したいなぁ。
放射能や化学調味料、保存料の入っていない、遺伝子組み換えじゃない食べ物を食べたいなぁ。

もう正直、まったくこの先の人生に夢も期待も持てません。
かといって、自ら命を絶ちたいわけでもなく。
渋々生きている、という言い方が一番しっくりします。

完全に見失ってるなぁ。生きる意味を。

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